PHILOSOPHY常陽会理念
常陽会の介護憲章
「 介護のこころは敬愛と感謝。」
人は高齢になれば、だれでも体が衰えます。
それは、その人が長い間この社会のために働いてこられたから、心身を使ってこられたからです。
しかし、ひとたび倒れて、ご自分のことがご自分でできなくなったら、こんどは、社会のみんながお手伝いをします。
私たちは介護という仕事に喜びを感じています。
体の不自由なお年寄りのお世話をすることを天職と思っています。
人生の大先輩であり、こんなにも豊かな国をつくってくださったお年寄りの皆様に対して、敬愛をもって、
私たちがこの社会に働いていられることに感謝しながら、精一杯お世話させていただきます。
鶏鳴 理事長の理念
私が書いた「出師の表」 -鶏鳴 2005-
私が書いた「出師の表」
出師の表――というと「三国志」の時代に蜀の諸葛孔明が主君の蜀帝 劉禅(劉備の子)に対して、自らが魏に出陣する際に表わした上奏文を思いおこします。
私は、社会福祉法人 常陽会を設立し、当時福祉の世界に進出(出陣)するに当って所感とも決意ともとれる文章を「鶏鳴」と題してこのホームページに載せました。「鶏鳴」と題したのは、夜明け前に真っ先に鳴くという、出発に当ってとの意味をこめたというものでしたが、今として思うと、「鶏鳴」にはもう少し熟慮があってよかったのではないかと思います。
今、あらためて再読してみると時代というものを感ぜさるを得ません。
あれから5年の年月が経過しました。私はこの間、何をしていたのでしょう。夢中でと言ったら大げさかもしれませんが、苦行、苦悶の中で、まるで雑草の生い茂る野原を1人で分け入ってきたように思います。
ともかく、私の後ろに道(らしいもの)はできました。しかし前途には、まだ茫漠たる原野が広がっています。果して私の進む先に成果とよべる終着点はあるでしょうか。今、立ち止まって考えることは、ともかく進行する手立てとよべるものは少しは得てきたように思います。天の加護もあらばこそとまさに人事を尽くして天命を待つの心境です。
冒頭に出師の表などを出して事大的になりましたが、それは、今5年前の「鶏鳴」を読み返した素直な感想なのです。それではこの5年間の行程を述べてみます。
わたしはまず福祉法人を立て、ケアハウスを2つ設立し、デイサービスセンターを1ヶ所設立し、居宅介護支援事業所、訪問介護ステーションをつくり、特別養護老人ホーム(特養80人、ショートステイ20人)も建設しました。(これは昨年9月にオープンしました。)その間に高齢者全対応型マンションと称し「サン・ソフィア新潟」という、高齢者向け分譲マンション(63戸)と介護付有料老人ホーム(45人入居)を合体させた、独特ともいえる形式のマンションを新潟駅前(駅から徒歩3分)に建設しました。現在、分譲マンションは完売し、介護付有料老人ホームは満室の状況です。
法人の職員数は最初のケアハウスの5人から、今ではなんと130人にも増加しました。(むろんこの何倍もの職員を擁している福祉法人がたくさん存在していることは承知していますが)ただ、このように書くと一見順風に乗ったふうに聞こえるかもしれませんが、私としては、出帆したもののただ風にあおり立てられて大海のただ中で大波の中に置かれた気持ちです。
また、この事業は私1人の冒険の旅ということではなくて、高齢者を伴っていますから、その責任の重大さは格別です。
私の法人経営における「感謝」と「戦闘」
私は今日、これまでのことを考えると多くの人々に対して感謝の気持ちを持たないわけにはいられません。まず、私が社会福祉法人を設立しようとした時に何も知らない私を導いてくれた人たちです。次に2つ目のケアハウスを建設する際に、進んでこのための用地を寄付してくれた地元の神林助一氏です。神林氏はご自分の先祖元来の土地を、ぜひこの地に高齢者のための施設をつくって欲しい、そして地域の人たちに役立てて欲しいと、まったく無条件で800坪余の土地を提供されたのです。この時には涙が出るほどありがたい思いでした。
さらには、私が不動産業者としてみれば、それこそわが国で初ともいうべき高齢者向け全対応型マンション「サン・ソフィア新潟」を建設する時に協力してくれた人々です。このマンションは総費用が15億円にも及ぶものでした。当時はバブル経済が崩壊した影響で金融事情が特別に厳しい時期でした。それにもかかわらず関係した人たちからは格段の配慮と応援をしていただきました。自分では成功する確信はあったとしても、他の人たちから信用してもらえることは別ですから、今にしても感謝の念に耐えられません。
また、特別養護老人ホーム(特養80人、ショートステイ20人)の設立についても多くの人々の手を煩わしました。まことに今日まで感謝することの連続でした。
しかし、一方では戦いの連続でもありました。それは、初回の「鶏鳴」に書いたように、私の福祉業界に進出した経営理念が、民間のどの事業にも当てはまる競争を前提とした成果主義ともいうべきものだったのに対して、周囲の、特に新しく雇用した職員たちの持つ社会福祉という概念でした。介護保険ができた時点で、「措置」から「契約」へと移行するということは、主に行政の大きな変換を意味することだったのですが、この「業界」で長く仕事をしてきた多くの職員にははっきり理解ができなかったのでしょう。さまざまな軋轢が職員との間で生じました。行政当局も「これまでの経営方法では、やっていけませんよ」と単なる「警鐘」とも「警句」ともとれることしか言いませんでした。その程度の言い方ではまだ目指すところがはっきり伝わらなかったのです。江戸時代から明治になりました。「士農工商」から「四民平等」になりましたと言ってもまだ抽象的なのです。その先に何が来るのかはっきり具体的に言わなければわからない人は多いのです。だれでも急激な環境の変化は居心地が悪いものです。当時は「経営」とか「利益」などというあからさまの言辞には反発もありました。
そこで私は、できるだけわかりやすい説明をしようと努めました。まず、職場の環境についてです。「皆さんは福祉の仕事というと公務員になったつもりかもしれませんが、少なくとも私の経営するこの職場は社員何人(最初はケアハウス5人)という中小企業に勤めたということにほかならないのです。お客様(入居者)からいただいたお金で皆さんの給料が支給されるのです。入居者は大切なお客様です。」事実、入居者がいてこそ補助金は来ますが、入居者がいなければ補助はないというものです。
さらに体質の区別として、公民館的なものと民間的なもの(事業的に似ているものの代表的なものとしてホテル)を説明しました。ホテルの従業員はホテルのお客様からもらうお金で給料が出ていることは誰でも理解ができるからです。当時、ケアハウスの中で次のようなことがありました。私たちのケアハウスは、玄関では外からの履き物を脱ぎ、内部はスリッパに履き替えます。その時職員の誰が考えたのでしょう。外来者用のスリッパをひとつのダンボール箱に入れて「スリッパに履き替えてください。お帰りの時はもとに返してください」と張り紙が貼られてありました。そこで、私は職員を集めて言いました。「このようなことは、公民館ではよく見かけることですが、ホテルでは見ることはありません」「ホテルではお客様が自分の履き物やスリッパを脱ぎ散らかしたとしても、従業員が必ずちゃんと揃えて置きます。このケアハウスも玄関には、スリッパは必要と思われる数を揃えておきましょう。さらには来訪者(主に家族の方など)があった時、その方々の履き物もその都度きちんと揃えてあげましょう。そうすれば、お客様はこの次からきっと、自分で揃えて脱ぎ、スリッパもきちんと揃えてお帰りになるでしょう。仮にそうでなかったらすぐさまこちらで揃えておきましょう。自分がホテルでどのようなサービスを受けているか、自分の家ではお客様にどのような気配りをしているか、ケアハウスといえども同じことをすれば良いのです」と説明しました。事実、以後は私の指摘したとおりとなりました。
また、当初は入居者が何かの用事で事務室のドアや窓口を開けて、室内にいる職員に話しかけると、私としては考えられないことでしたが、若い職員は椅子にかけたままで顔だけを向けて、「はい、なんでしょうか」と応対をするのです。そこで私はマニアルを作りました。このような時には、①まず「はい」とはっきりと返事をする。②同時にすぐ椅子から立ち上がる。③急ぎ足で入居者のもとに寄る。④そののちに会話を始める。というものです。 今このようなことを書いていると、いかにも稚拙であったことが思い出されて、隔世の感を覚えざるを得ません。
現在でも、私はかなり厳しい注文を職員に出しています。(それとて、他の職業では当然のことなのですが)その一例を言えば、まず日常の実務的なこととして、施設の空室を一日たりとも作ってはならないということです。ケアハウス、特養、特定施設、(さらにはデイサービス)などでは入居の希望や利用の希望がたくさん来ているのに、入退去の際の入替えの時には、まだ平気で(と私にはうつる)空室日数を出しているのです。やむを得ない場合もあるのでしょうが、絶対にゼロを目指す決意を持つべきです。
また私は電話の応対についても全体的なレベルとして不満を持っています。これについては、私は当初、かかってきた電話を最初に対応する「電話のでかた」について各施設にわざわざモデルとしての録音テープを配布してレベルアップを要求していたのですが、これがさっぱり効果を上げていないのが実情です。全員ではないとしても、一部の職員の自覚の足りなさを感じる時があります。電話における「最初のでかた」は、その会社、法人、施設のレベルをはかる上でもっとも重要な観点と私は考えています。
そこで私は、最後通告とも言うべく、本職のアナウンサーに依頼して、「最高のもの」を示して、徹底させたいと思っています。これを読まれた方々が試しにかけてこられたら、どんな感想をお持ちになるかなと密かに興味に思っています。はたして、私の期待に職員は応えてくれているでしょうか。
さて、ここで少し飛躍した持論をとお断りして書かせてもらえれば、(あるいは現在ではもうこのように断る必要はなくなったでしょうか)「福祉」や「介護」の世界は、業務という点で見れば、分類としてはりっぱな「サービス業」だということです。
「サービス業」の到達点はお客様に「感動」を与えることです。すでに「措置」から「契約」の時代になったといっているのです。この場合の契約は双務契約ですから、対象たるものを提供して対価をいただくということにほかなりません。対価(代金)をいただいて提供できる最高のものとは、単なる「瑕疵のない対象物」ではなくて、その余のものとしての感動が供わなければなりません。これは難しいことです。(それゆえ最高のものといっています)しかし、私たちはいつかどこかで体験しているはずです。何かを受け取って、代金を払って、なお感謝をしたということはあるはずです。感謝をしてもらうことを期待して、何かを渡すわけではありませんでしょうが、私たちは感謝をすることがあります。これが感動だと私は言います。授受の側のいかんに問わず、感動のある場面は美しいものです。感動のある人生はなんと素晴らしいことでしょうか。
私をとりまく、常陽会の中で目指す到達点はこれに尽きると思っています。しかし、これは私が言うことは言えるにしても、行動として完結させることは難しいことだと思っています。ましてや職員が職場の隅々にまで行き渡らせることは至難のことと言えるでしょう。これが私にとって(職員にとって)戦闘だと私は言うのです。
高齢期ルネッサンスと不動産業における新大陸発見
この表題は私が新潟駅前に「高齢者全対応型マンション」と銘打って、サン・ソフィア新潟(分譲63戸、特定施設入居者生活介護45室)を建設した折り、これがたいへん好評で早期完売が確実となった平成16年1月頃から、私は「講演」というほどではありませんが、各所で新しい業態の話題の提供という立場で話をする機会を与えていただきましたが、その時、話の出だしに使用したものです。
当時は介護業にあっては、介護保険が発足し、以後の発展が期待されていた時ですし、不動産業においては、バブル経済の崩壊から、確実な突破口の発端がまだ見えていなかった時期でした。
そこで私が言ったことは、これからの高齢者にとって高齢期は決して老人としての諦念に縛られた老後ではなく、まばゆいほど輝きに満ちた生活期間であるということです。「まばゆいほど輝きのある」というのは、人生のどの期間よりも自由自在で豊饒であるということです。少年期は体躯をつくったり知識を吸収したりで、休むいとまもありません。青年期は社会の矛盾や人生の迷いや憂鬱に打ち勝って進まなければなりません。壮年期は、内にあっては子育て、外にあっては職を全うし、経済的に社会的に責任を担わなければなりません。その後の高齢期こそ登熟した熟成の果実を味わう期間だということです。
ところで歴史的に見て、今日ほどこの高齢期が輝いたことはありません。およそ今までの高齢期といえば「家督」を譲り、「隠居」するといった、それこそリタイア、ドロップアウトをして、死期を待つというほどのものであると言っても過言ではありませんでした。ともかく明るくはないイメージのものでした。たとえば棄老伝説に基く「姥捨て山」といえば、高齢者が疎外されて住む場所とか、職場などでは働き甲斐のない部署のたとえとして通用されていました。
それが今日ではどうでしょう。世界に誇るほどのわが国の資産のうちの大部分は実は高齢者が所持するとされ、現に国内外のツアー旅行客などは高齢者で占められていたり、高齢者の購買力が数値として喧伝され、ひとつの経済力として注目されるに至っています。また、高齢者が高齢期をいかに生くべきかといった、まるで私たちが青春時代に課せられた人生設問までが問われる時代となっています。(ただ、一方では少子化が進む中での高齢者の大量化は当然危惧されるところとなります。)
しかし、ついに「文藝春秋」今年4月号には『団塊の世代「最高の十年」が始まる』と題した堺屋太一氏の論文が発表されました。(そもそも昭和22年から同24年頃までに生れた人たちを30年前に「団塊の世代」と名付けたのは堺屋太一氏でした。)ここでは『”ブーム”を創り続けた世代が新たな「富」を生む』との副題があり、堺屋氏の独特の経済的、文化的観点が語られています。そこで私が注目し、私の文章に援用したいことは、これまでの高齢者の高齢期の常識は大きく変革され、爆発的な力強さで変貌したものになるということです。詳しくは本文を読んでいただきたいのですが、後半の小見出しには「増える真可処分所得」「お金は自分のために使いなさい」とあり、次のような文章でしめくくられています。
『六十歳を迎える団塊の世代は、新しいタイプの働き手であると同時に、新しい巨大な市場でもあるのです。団塊の世代が六十代である2007年から2017年は、まさに「最高の十年」となるのです。』
この文章は団塊の世代が定年を迎える2007年からの約10年間のことを書いているということですが、年齢の分布はなだらかな山なりの曲線をつくりますから、団塊の世代にある現象は傾向としては、一定期間と断ったとしても、それ以前にもあるし、それ以後も続くということになります。そして、私はこれを歴史的に見ても「まばゆいほどの輝きのある」期間だと表現しているのです。さらに私はこれこそ日本における「高齢期ルネッサンス」だといっています。ルネッサンスについては私が下手な説明をするよりも統一的な見解として、広辞苑のこの項を引用してみます。
ルネサンス【Renaissanceフランス】(再生の意)十三世紀末葉から十五世紀末葉へかけてイタリアに起り、次いで全ヨーロッパに波及した芸術上および学問上の革新運動。個人の解放、自然の発見を主眼とするとともに、ギリシア・ローマの古典文化の復興を契機として、単に文学・美術に限らず広く学問・政治・宗教の方面にも清新な気運をひきおこして、神中心の中世文化から人間中心の近代文化への転換の端緒をなした。文芸復興。学芸復興。ルネッサンス。
ここからは私流の説明をお許しください。 私は言語や歴史を専門的に学んだことはありませんが、ルネッサンスとはフランス語で再生、復興の意味のようです。そして、その源はギリシア、ローマに発するようです。さらにこの語は文芸復興、学芸復興ともくくられるようですが、その実態の主眼(本流)は芸術上、学問上の「革新運動」であるのみならず、「個人の解放」「自然の発見」であり、単に文学、美術に限らず広く、学問、政治、宗教の(あらゆる人間社会の)方面にも清新な気運(本来、持つべきものだが、その頃はまだ確固としては持っていなかった。表現されていなかった。)を引き起こして、神中心の中世文化(封建的隷属制の概念、諦念)から人間中心の近代文化(主に個人の権利が確立される民主主義、自由主義、資本主義的な概念)への転換(転機。チャンス)の端緒(出発点)をなした――とされるものだということです。
以上のように私流の解釈を入れると、ここ(広辞苑)ではギリシア・ローマを並列していますが、やはり、ギリシアを確かな原点だというべきだと思います。なぜならば、ルネッサンスとは文芸の復興、学芸の復興とくくるよりも「人間性」の復興、回復とくくるべきだからです。
何かの本で読んだ記憶がありますが、芸術の例えば彫刻では、ローマ時代のそれは、ギリシアのそれをよく言えば継承、悪く言えば真似たものだといえるくらい発展性がないものだと、そんなふうに書かれてありました。ギリシア彫刻の傑作として、ミロのビーナスはよく知られています。その写実性と人体の機能美の表現には人間性への感動と賛美を感じます。しかし、これより後世になるローマの彫刻に、これに匹敵するような作品はないとされています。
ともかく、ルネッサンスで私の言わんとすることのキーワードは「人間性」の回復なのです。「人間性」の発見と発展なのです。人間性回復の究極は人間性、人間の尊厳へと続くものだということです。
歴史的に見て今日ほど人間性が確立され、「人間の尊厳」という言葉が実感、実態となって定着した時代はありません。――と私が言えるということは、ルネッサンス発祥の原点の意義が実は近代民主主義の発生、発展と定着、そして成熟への道のりとイコールだと認識しているからです。民主主義は民生(人間のくらし。広辞苑では人民の生活。人民の生計。)の上で最高のシステムであると言えます。(これ以後にもっとよいシステムが考案されるかもしれませんがそれまでは最高のシステムです)
この「民主主義」は英語のデモクラシーの訳語です。英語(米、英)の歴史などたいしたことはありません。必ずモトがあります。ではデモクラシーの語源はどこにあったのでしょう。それは(古代)ギリシアです。
デモクラシーの語源はギリシア語のデイモクラティアであって、人民(デイモス)と権力(クラティア)という語が結合したものであるといいます。ともかく、私が力説していることは「三段論法」です。近代民主主義の源が実はルネッサンスにあり、ルネッサンスの発祥は古代ギリシアの民主主義とそれを醸成した風土にある。それゆえルネッサンスの(再生、復興、回復)とは古代ギリシアを起点にしているからということです。民主主義をわかりやすく証左するひとつは「普通選挙権」を持っているか持っていないかということです。「普通」選挙権といっても、現在地球上の人民の中で持っている人と持っていない人とを分けたら持っていない人の方が多いのです。日本だってこれを持ったのは、わずか60年前の昭和20年のことです。さらに調べてみると人権問題では先鋭だとされるフランスにおいてさえ、『普通選挙権に関して男性は1848(寛永1)年に認められたが、女性はそれから約100年後の1944(昭和19)年のことであった。』とされています。
有史以来、王権が発生してから、王権という「個」の権力に反立する「衆」の権力が台頭しました。それは民主主義の進捗の歴史に重ねてみることができます。その課程はまさに血で血を洗う抗争の歴史でした。このようにして得た民主主義は個人(個性)が主体(主人公)となって形成されているものです。ですから、「人間性の尊重」や「人間の尊厳」などという言葉は成熟した民主主義なくしては言えないのです(と私は言います。また、こうも言います。軽々にして「人間の尊厳」を言う勿れ。)
しかるに、最近の日本の介護を論ずる中で「人間性の尊重」や「人間の尊厳」などは日常茶飯事の言葉となって使われ始めています。介護広告などではそれこそ軽々にして乱発の感さえあります。しかし一面、このことは日本の介護が弱い立場にあったとされる(人権がともすれば擁護されていなかった)高齢者に対して究極の目標を持つに至ったと言うことができるわけですから、その点において実にすばらしいことだと言えます。それこそ民主主義的で個人(個性)の人権の輝ける発露であるといえます。「王侯の介護」もなんのその、すべての人が前時代的に言う王侯であって、(王侯のごとく)何の気兼ねもなく、尊重、尊厳の中で介護を受けられるということです。このことは介護が必要の人も必要としない人も、高齢期にあるすべての人が民主主義的な民度の成熟の中で得た「まばゆいほどの輝きのある」人権であり、生活であって、その転換点となっている現在が、高齢者にとってのルネッサンスだと私はいうわけです。
次に「不動産業における新大陸発見」ということについて説明します。ルネッサンスの「三大発明」というものがあります。それは火薬と羅針盤と活版印刷であるとあげられています。
これらによってヨーロッパの世界観は変わり、新大陸の発見は新大陸の経営に発展しました。狭いヨーロッパ地域の有力諸国は競って、海外の未発見地域(ヨーロッパ人にとって)に進出して、そこから新しい産業的価値を発掘して膨大な利益を本国にもたらしました。(ここでは、今日的にいう植民地支配とか侵略的行為とかということには言及しないで、ただ古い開発しつくされたヨーロッパの諸国が未開発地域を開拓して新商品を生み出し、自国の発展の糧にしたということに限定していっているわけです)
ここでも、私の言わんとすることは、少子化やバブル破綻などで閉塞状態にあった不動産業界にとって、とりわけ高度成長期からの分譲住宅業――これは若年層に「子育て住宅」を販売していたわけですから、子育てが終って、用済みとなった住宅から、高齢者に適合した住宅を供給すべきで、今こそ高齢者ルネッサンス期とも呼ぶべき時宜を得たものであるから、これを新しい商品、ニーズであると考えれば、りっぱな不動産業の新しい柱(新大陸)になる部門だと提案したものでした。
高齢者は住居を変える、変えるべきだというのは、私の「高齢社会の不動産理論」なのです。
日本の介護は「競争」によって世界一流のものになる
今まで、いや過去に、あるいは今でも、「介護」を志す人たちは先進地(国)といわれる、いわゆる北欧詣でをしてきました(しています)。かく言う私も平成15年にデンマークとドイツに「介護視察ツアー」に参加して行ってきました。そこは日本人から見たら、大変立派な施設でした。まず、居室の広さが違います。むこうの人たちは体格が違いますし、土地も安いのかもしれません。それにしても広いスペースでした。介護にかかわるスタッフが大勢いました。日本の3:1や2:1どころではないようでした。介護に対する熱意や取り組み、システムも日常的レベルで高度のものを感じました。私と一緒に参加した介護に専門的な人達(私は初心者、新参者です)も感じ入っていたようでした。ひととおり、施設の説明を受けた上で質問の時間がとられました。参加した人達はそれぞれ専門的な見地から質問をしていたようでした。私も質問をしました。私の質問は簡単なものです。「とても立派な施設ですが、ここに入居したいという希望者(待機者)は現在どれくらいいるのですか」(さぞ大勢の人達がいるのでしょうね。こんなに素晴らしいところですもの)と問うたところ、その答えはにべもないものでした。「?、待機者?、そのような人はいません」「?、でも今ここに入居している人で、なんらか事情で退去される人は出るでしょう。そうしたら次は私を入れて下さいと申し出ている人はいるのではないのですか」「そのような人はいません。居室が空いたなら、次に入る人は私たち(施設側)が周辺の高齢者の中から一番ここに入居するにふさわしい人を選んで入れるのです」私はここまで聞いてハッと気付きました。ここが役所か、あるいは民間であってもこれに準ずるような機関が経営していて、経営側としては「非常に高度な思いやり」で「独自」の判断で入居者を決めているのだと。でも「独自」のというのは「独善」に通じるのではないか。地域的な特性はあるにしても、当然施設の数も限られていることであろうから、入居者の「選ぶ自由」のようなものがないのだなと感じました。その点では日本の過去の「措置」のような制度に近いのではないかと思いました。
日本では「措置」から「契約」へとすでに移行しています。この原点は「競争」の原理です。私は競争のないところに繁栄はないと断言しています。介護のハードやソフトを超越したところに競争はあります。競争のスイッチが入れられた日本の介護は数年のうちに先進地を追い越すことになるでしょう。
その時はいま、先進地とされる諸国が日本の介護を視察に来ることになるはずです。これは私の「予言」です。
――と、ここまで書いたところで私は東京で開催された、ある介護セミナーに出席してきました。そこで漠然とあることに思い当たることがありました。それを以下に書いてみたいと思います。
「小規模多機能」は競争を助長するものとなるか。それとも疎外するものになるか。
日本の介護保険制度ができて5年を経て、改正の方向が示されて、さまざまに議論がされています。その中で、小規模多機能介護については、大きな部分を占めています。小規模多機能とは、今まで広い地域で大型の(単機能的な)施設を整備してきたことを転換し(中学校区ほどの)狭い地域で(小規模でも)多機能的に、いわば地域密着型の介護が提供できることを目的とした、施設と方法を行政が推進するというもののようです。
このことについては、私は大賛成です。高齢社会というくらいですから、高齢者は「面」として居住しているわけですから、これを「点」にして高齢者をひとつのところに集積していることは不合理なことです。高齢者の居住をそのままにした「面」で、介護のシステムをその「面」に浸透させる方法はとてもよいことだと思います。
しかし、この制度は出発時点であるということを考慮したとしても、行政の権限(指導)が強いのではないかと危惧(警戒)する気持ちも湧いています。
まず、権限は市町村に託されるとし、被介護者はその地域の住民に限定するとされ、中学校区ほどの地域に1ヶ所、1業者に限定されるのではないかということです。早くも、「早い者勝ち」というふうに参入業者の競争を言いたてている人もいるようです。私のいう競争とは行政庁に選ばれるための競争ではなくて、介護(サービス)を受ける側から選ばれる業者であり、サービスなのです。
このような方向の行く末はどうなるのでしょうか。おそらく行政庁から最初に選ばれた業者が独占的に地域に浸透し、介護を受ける側の人たちは、結果として業者や施設の選択肢がなくなり、サービスの提供にも競争がなくなるのではないでしょうか。これでは日本の介護が発展するはずはありません。
また、だれでも民主的な生活(介護)権を得るという、大きな言い方をすれば、日本国憲法にも反します。
――そうです。私がデンマークで見た施設は、あるいはこのような小規模、あるいは中規模体制が定着したものであったのではないでしょうか。(北欧の国々の介護を先進とするのは、どうも官民を問わないもののようですから)そのように考えれば、「待機者はいない(認めていない)」「入居者は施設側が、いちばんふさわしい人を選んで入居してもらう」このような発言が今になって頷けるのです。むろん、これは私がたった1回行って見聞したことをもとにして言っていることなので、どうかご・・笑知おきくださいとでもいうべきものです。
「学んで思わざればすなわち暗し、思いて学ざればすなわち危うし」という論語の一節を思いおこしましたが、私の場合はまだまだ学ぶことを先行させなければならないと思います。
日本の介護は明治5年
私は介護事業者としては後発で新参者ですから、この世界に早く慣れたいと思い、進んで職員ともミーティングをしたり、業界セミナーにもよく行きます。私はひとたび、この事業に進出したからには世間の人たちから、あてにしてもらえる事業者になりたいと思っています。それには、ある程度の規模で運営できないと果せないと思っています。
私の直近の目標は施設、住居系で入居者500人、通所、訪問系で500人としています。ところが、これがなかなか難しいものとなっています。事業のベースになる主なものは資金と人材であるとされますが、資金的には自前の物件よりも賃貸の物件に頼ることになり、「高齢者のための施設、住居をつくって貸してください」と新聞に広告を出しています。人材についても求人広告で募っています。
私の介護理念の達成、事業の安定、お客様からの満足感、信頼感の確保、職員の資質や技術の成長、向上、などを考えた場合、今の私としては、やはりある程度の「拡張主義」はとらざるを得ません。私1人の能力や時間は限られています。当然、幹部的な職員からの協力、助言を求めることになります。ところが、私の「熱意」はあまり職員には伝わらないようです。そこで私は、職員を鼓舞するか揶揄するかとして次のようなことを言ってしまいます。
「小学3年生の子供のことを考えてみなさい。遊びたい盛りの小学3年生に翌年もう一度3年生でいてもよいと言ったら、どんなに喜ぶことか。どんなにもう1年同じことをしていられれば勉強が楽なことか。でもやっとの思いで3年生の勉強を覚えたら、翌年にはもっと難しい4年生の勉強をしなければならないのだ。小学3年生でもやっていることを、大人の我々がしないわけにはいかないだろう。ましてや、事業に従事している身なのだから」
また私は、介護予防、筋力トレーニングなどのことにしても、なにも高額な機器を購入しなければならないものではなく、だれしもが体験の中から思いつく、ごく原理的な機器が考案されてしかるべきはずだと考えて、職員全員にアイデアを募っています。でも、ただ募集したとしても、インパクトが弱いと考え、次のような文句を付け加えています。「考案品については、法人で費用を負担して考案者の名義で特許を取ってあげます。宣伝もします。但し利益は折半にしましょう」今のところ、但し以下の文言がいけないのか、ひとつのアイデアも出ていません。
ともかく、私が職員に言いたいのは、わが国に介護保険は始まったばかりで、介護事業は広く、深く国民の生活の中に浸透し、発展していくものだから、今のままでよいと満足して、思考や精進をストップさせてはいけない。だれでもが自分がかかわっている事業を向上させる意欲を持って参画すれば、現在、経営側であろうと労務側にいようと、自分がしたことは個人の事蹟として評価されて残り、豊かな社会の形成に寄与することができたとして、生きて(働いて)きたことに充足感を得て、自分が省みて癒される日々を持つことができるであろうということです。
ところで、明治5年のGNP(GDP)はどのくらいであって、現在のそれは何倍になっているのでしょう。明治5年の民生(民主的な暮らしぶり)から見て、その時点を生きた人たちからしたら、今日の発展成長は想像もできないものであったでしょう。 介護保険が始まって5年です。だから私は限りない希望を込めて、日本の介護は明治5年と言っています。
設立の趣旨 -鶏鳴 2000-
子育てを終えたら第三の人生ステージ。自由、自在で輝く世代。
高齢化社会となりました。これは日本人が長寿になったことと、また一方で少子化傾向が進んだことにより、高齢者が相対的に急増している現象でもあります。植物や動物が子孫を残す能力がなくなった後、衰退して枯渇してしまうのに比べ、人間は子育てを終えた後も、なお長く生存を享受できることとなりました。まさに万物の霊長のなせるわざといえます。
これにより、人生は三つの期間に分けることができます。すなわち子として親に育てられ、成人するまでが第一の人生期間です。さらに親となって子を育てあげるまでが第二の人生期間。そしてこれ以後は、第三の人生期間と位置づけてはいましたが、それは孫に囲まれ、せいぜい晴耕雨読の「余生」ととらえるものでした。しかし、今日ではもはや違います。第三の人生期間は第一、第二の期間に蓄積された人間のマグマを燃焼させる、ひときわ光彩を放つ、輝くステージなのです。
ここにこそ、自由があり、自在があります。私は万人がこの最後の舞台で、末永く主役を演じてほしいものだと思っています。とはいえ最後の舞台にも終焉はきます。身体や精神が衰え、自由でもなく、自在でもなくなり、生命の混沌のなかで宇宙の冥暗のうちに同化していく日が必ず来ます。
しかし私は、人間の最後はそれこそ万物の霊長にふさわしく、尊厳をもって、単に係累からというよりは、人類が歩みつづけてきた歴史の敬礼をもって送葬されなければならないと考えています。
社会が「ケア」で見守る安心の暮らし。
さて、第三の人生期間においても、これを二つに分けることが必要になってきます。これを便宜的に前期と後期とし、前期は心身ともに健康で悠々自適の毎日を送ることができる期間です。後期は心身の衰退から、自分で自由を行使することがかなわなくなり、他人の介添が必要になってきた時期です。介護保険の言葉でいえば、要支援、要介護の状態です。むろん前期、後期は明確な区分ではなく、重複する期間もありますが、いずれにしても第三の人生期間は、社会生活の中で程度の差はあってもケアの必要があるということです。
これはくしくも、第二の人生期間である子育て期間と同類のものといえます。子育ては第一義的には、家族の責任で行われるべきです。が、やはり社会のケア体制が重要であることはいうまでもありません。第三の人生期間においても同様に、第一義的には家族の責任を求めないわけにはいきません。しかし社会のケア体制が軽んじられるべきものではありません。その点、児童福祉法と老人福祉法は、その根本において表裏の関係にあるといって良いでしょう。
常陽会の現状とこれから。
私たちの社会福祉法人 常陽会は老人福祉法における高齢者向けの施設の運営から始まりました。以下に列記するように新しい法人です。
設 立 平成9年7月
当初施設として
軽費老人ホーム ケアハウス サンパレス輝(定員51人)
平成10年9月 開所
軽費老人ホーム ケアハウス リバーサイド輝(定員50人)
老人デイサービスセンター リバーサイド輝(定員23人)
平成12年9月 開所
以上のように常陽会で運営している施設は、ケアハウスとデイサービスセンターにとどまっています。しかし、第三の人生期間をケアする施設としては、わずかな部分であるといわなければなりません。すなわち、第三の人生期間をフォローする施設としては、ケアハウス、デイサービスセンターなどの前段階として、
有料老人ホーム(健康型)※
高齢者のためのケア付きバリアフリー型マンション(民間の分譲、賃貸)※
高齢者向け優良賃貸住宅(建設省。建設費用、家賃などに補助)※
グループホーム(痴呆対応型共同生活介護)※
そして後段階としては
特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)※
老人保健施設(介護老人保険施設)※
療養型病床群(介護療養型医療施設)※
(以上の三つは「施設サービスの三点セット」と呼ばれています。)
※介護保険法では「在宅」「施設」と分類していますが、ここでは「住居の在り所」という観点から混合して書いています。
およそ以上の通りです。これらはあたかも第一の人生期間における、保育園や幼稚園から大学までの学校区分に似ています。すなわち「学校教育」を極めようとすれば、「中学校」などの中段階の1つを運営したとしても満足のいくものではないと同様に、第三の人生期間のケアを充足させるには、これらのすべての施設を視野に入れる必要があるといえるのではないでしょうか。
それゆえ、現在では「複合型経営」という言葉に表わされるように、高齢者の「ケア」に本分を尽くそうとすれば、できるだけ多くの「施設」を「複合的」に運営する必要が生じてきます。
しかしながら、私たちの常陽会がこのような理念のもとに計画を押し進めようとしても、現時点では不可能です。なぜなら、まず上記のいくつかの施設を「政府系」「民間系」と大別したとすれば、「政府系」の「ゴールドプラン」はほぼ平成12年度で終結しますから、私たちの常陽会が参入することは無理なのです。仮に「配分」を受けられたとしても、「政府系」はもともと施設の用地は「自己所有」(篤志家からの寄付または法人の永年の剰余金で購入など)が基本的な考え方になっていますから、なかなか急にいくつかの施設を持つことは困難です。
さらに「政府系」は建物部分に対して一定の補助金が交付されることから、その運営において、さまざまな制限が加えられることは当然です。それを経営する立場からいっても、簡単に余剰金が残る仕組みにはなっていません。その設立や経営においては決して安逸なものではないのです。とても用地を銀行からの借入金で賄えはしません。
さらに「民間系」においては用地、建物の資金の全額を当事者が用意しなければなりません。資金を金融機関からの融資に頼ったのでは、経営の成立は難しいのです。
私たちの常陽会においても、サンパレス輝の用地は理事長の私が寄付し、リバーサイド輝の用地は地元の篤志家の寄付によったものです。このように「福祉施設」といっても、その建設にはさまざまな克服していく問題が多くあります。しかしながら、法人には理念がありますから、理念の達成のためには労苦を惜しむわけにはいきません。
これからの介護は「在宅」よりも「施設」が中心になります。
さて、このような状況の中、常陽会の進むべき道筋はどのようなものでしょう。私は理事長として、これからの日本の高齢化問題の解決には、介護(あるいはこれに準ずる支援)のための「施設」の充実にあると思っています。厚生労働省では介護を「施設」よりも「在宅」に重きをおいていますが、これは「言うは易く、行うは難し」です。
核家族化が進み、女性の社会進出が顕著になり、さらに住宅事情などもあります。ひとたび高齢者が倒れ、一家に突然「介護」問題が生じたらどうなるでしょうか。ましてや、親子が遠く離れて生活していたりしたらどうでしょうか。たちまち、それまでの生活サイクルは狂ってしまうでしょう。だれにとっても大問題です。 もちろん、このようなな状況になっても、慌てることもなく、騒ぐこともなく、当然のごとく対処できる人もいるでしょう。しかし、それはごく一部のさまざまな条件の下で恵まれた人たちであるといって良いでしょう。大部分の人はそれこそパニックに陥るはずです。
このように言いたてる私に対して、社会福祉法人の理事長として、福祉を担っていく立場の者としては熱意が希薄であるとして、「けしからん、なっていない」とお叱りになる人もおられるかもしれません。しかし、私は時代的な認識に立った場合、自信をもって介護ができるという人たちには敬服をし、賛辞を惜しみませんが、とても「推奨」する気持ちにはなれません。世代も違ってきています。私は団塊の世代といわれる年代ですが、個人の立場としては「できるかもしれない」「しなければならない」「当然だ」と納得はできます。でも私の子どもたちに同様に理解してもらいたいかというと、大いに疑問です。現に、私と同年代の人たちと介護の話をすると、異口同音に親の介護はできたとしても、子どもにはとても頼れない、いう発言になります。そういう私たちでさえ、50歳をとうに越えているのです。
ちなみに昭和36年生まれの39歳の池田武史氏は著書「私、親の介護はできそうもありません」の中で、「老いた親の世話を子どもがするのは当たり前だと、なんの疑問も持たずに思ってきたし書いてもきたが、本当に当たり前なのだろうか」「決して介護から逃げるつもりではない。たとえば、高福祉に高負担は付き物。あるていど負担が増えるのは覚悟しなければならない。介護をお金で買うのか? 買うのである。少しも悪いことではない。買えない人はどうするのか。そこをどうにかするのが福祉である」と、自問自答していることを書いています。 ですから、常陽会の理事長である私にとって、「施設」の充実は時代的に急務なのです。
施設介護が救う「介護の悲劇」。
時折、新聞などでやり切れない記事を読むことがあります。夫婦のどちらかが親の介護に疲れて、親を殺してしまったり、夫や妻を殺したり、自分も自殺したりという内容です。これらの事件を知るにつけ、なんとも居たたまれない気持ちになるのは私だけではないはずです。 私はこのような悲劇が、あるいはそれに至らないまでも、きっとあるだろう多くの葛藤が一切なくなってほしいと強く望んでいます。舛添要一氏も著書の「母に襁褓(むつき)をあてるとき」の中で、ご自身の体験から「介護はプロにまかせて、家族は愛情を注ごう」と書いています。この考えは多くの人々の共感を得るでしょう。 私の場合は、まさしくその「プロ」である社会福祉法人の先頭に立つ経営者の1人ですから、大いにわが意を得たりとしているところです。
ところで、「プロ」の当事者である私がこのように書き進めると、多くの読者の皆さんはこの論調にストップをかけたくなることでしょう。ちょっと待て、近親者の介護は家族としての愛情であり、敬愛であり、それらに基づく奉仕のようなものであるはずだ。仮に他人がかかわるにしてもその精神はボランティアであらねばならない。「プロ」というからには金銭の対価を求めるのだから、商売ではないか。介護を商売としてとらえ、儲けようとしているのか。介護を商売の対象にすることは絶対に許せない。介護を受ける人は弱者であるはずだ。十分な抗弁権を有している立場にあるとはいえない。きっと粗末な扱いを受けて、惨めな状態にさらされるだろう。それに舛添氏が『介護はプロで……』と言っているのは、あるいは氏自身がいくら尽くそうとしても尽くし足りなかった母の介護に対して、ある種の後悔と懺悔を込めた、母に対する挽歌という意味があるのではないか。それを言葉通りに自分の立場で受け取っていることは考え違いも甚だしい、と。 しかし私はその方向の議論で収めることは考えていないので、もう少し私流の論を進めさせていただきます。
待ったなしの介護事故における損害賠償問題。「介護」はもはや「ボランティア」ではない。
ここで少し視点を変えて、介護の事故における損害賠償問題をとりあげてみましょう。神ならぬ身の者が行うことですから、介護における事故はかなりあります。これに対する対処方法を、私は以前、社会福祉法人の経営者を対象にした講演会で聞きました。講師の話としては、「まず、法人は十分な損害賠償保険に入っておくことが必要である。この問題が裁判などにまで発展することがあるとすれば、これに対処する方法に適切でない点が多いので、法人や職員は常に入居者やその家族と意志が通じる関係を保っておくことが重要である」というものでした。私もまさにその通りだと思って聞いていましたが、その一面、私は安易な危うさを感じ取りました。
まず第一に、施設の運営者側が入居者と常に意思の疎通をはかることは良いことですが、ただこれらの事をいったん事故が起きたときの保険のように、当てにしているならあまりにも安直です。また事故後に懐柔、揉み消し、言い逃れなどの方向に少しでも気が動くようならば、良い解決には終らないでしょう。
「介護事故ーーその予防と解決法を探るーー」(企画 調査分析・編集 民間病院問題研究所 発行:(株)日本医療企画)には次のような事例が掲載されています。
- ●利用者は朝・昼・夜と食後に薬を飲んでいる。昼に利用者宅を訪問するホームヘルパーの業務内容にはこの1日3回飲む薬の仕分け作業、つまり『服薬管理』がある。本来は医療行為であるために、法律上は禁止されているが、利用者の住む自治体では、自治体からの文書による指示でホームヘルパーにもできると自治体が判断した医療行為に関してはホームヘルパーが行っている。『服薬管理』もこの自治体ではホームヘルパーに認められた行為であった。
- ●朝ホームヘルパーは利用者宅を訪問し、その日の薬の仕分けを行う際、降圧剤を多く入れてしまった。朝食後、仕分けをした薬を飲ませて退出した。
- ●昼に訪問した別のホームヘルパーが利用者をみると、意識がないため、救急車を呼び病院へ同行した。
- ●利用者は病院で意識を取り戻したが、その後半年間入院となった。原因は降圧剤の多量摂取であった。
- ●別居の家族から治療費・入院費等300万円の請求がされた。
(この後の「解説」では、薬管理は医師や看護婦、薬剤師の役割と説明されています)。
実はこれと全く同様のことが私たちのケアハウスでも行われていたのです。しかも複数の入居者に対して薬の仕分けをしていました。しかしこのような行為は入居者はもちろん、かかりつけの医院からの依頼でもあったというのです。 確かに1人の入居者に対して、幾種類もの薬が与えられます。これを高齢の入所者がいちいち仕訳しながら服薬することは大変なことかも知れません。かくいう私なども、たまに風邪などで薬をもらうことがあって、その都度注意して飲んでいるつもりでも間違った経験があります。職員は好意(ボランティア)のつもりで、それこそ苦労をしながらやっていたというのです。
私は早速、その職員たちにすぐ中止するように注意をしました。彼女たちは一様に、果たして高齢な入所者たちが自分でできるだろうかと困惑した表情になります。そこで私は、監督庁である県の担当者に「この本にこのように書いてあるのですが……」と問い合わせてみなさい、と職員に言いました。そうすれば県の担当者はきっと「とんでもないことだ」と叱責するであろう。そうしたら、入居者にも、医院にも理解してもらえるだろうと。
ところが県の担当者は調べてみるといって即答をしなかったというのです。こちらから催促して回答を求めたところ、ようやく2週間後に、「しないほうが良い」と返答があったというのです。
このように、現場では善かれと思うボランティア精神から、日常的に無防備に行われていることでも、ひとたび事故が起きてしまった場合には、その責任は免れません。この場合は突き詰めて検討をすれば、もともと職務を逸脱した行為だったわけですから、そのため事故が起きたと知ったら、入居者の家族は納得しないでしょう。相手方に弁護士がつき、法に照らして主張してくることもあるでしょう。ともかく賠償問題は施設側にとっては待ったなしに直面させられる重大な責任問題なのです。
まして健常者と違い、高齢者にとってはわずかな手違いが生命や体調に大きく影響します。施設側の「善かれと思って」とか「ボランティアのつもりで……」とかという理由は、家族側にはとうてい黙認されるものではないと考えるべきでしょう。従って「介護」はもはや「ボランティア」ではないのです。
介護の原点は尊敬と敬愛によるいたわり。しかし家族の「犠牲」は避けなければならない
ところで大抵の場合、親が倒れた時には子が親の介護をすることになります。しかし普通は、子といっても長男などの場合には会社などに勤めているため、長男の妻がまず当たることが多いようです。夫婦の両方が勤めを持っていて、どちらか一方が辞職して介護をすることになったときでも、やはり、妻の方が辞めることが多いようです。これには、いろいろな理由があるでしょう。妻は一家の主婦として大黒柱であり、家庭の常備薬であり、万能薬のような立場で、特に親子が同居している長男の嫁は、夫である長男以上に一家を切り盛りする立場にあるためでしょう。
ところが、これほど一家の中心である長男の嫁でも、民法では夫の配偶者である妻には、夫の親からの相続権はありません。つまり民法では妻は、夫の親との関係で「他人」と位置づけられているのです。そればかりか、相続権は権利であって義務ではありませんから、これを放棄することもできるということです。例えば、被相続人の資産よりも負債が多ければ、相続人は相続権を放棄するのを選ぶことも可能なのです。
無論、介護が負債だとか資産だとかという相続問題ではないことは承知しています。しかし以上の事実ないしは事情は厳然としてあることです。
一方で妻(夫の配偶者)の人権は、1人の人間として絶対なものであるのはいうに及びません。人権の中の重要な要素は、自由であり平等です。妻の選択は夫であれ、親であれ、家族であれ、何人といえども侵すことはできません。これは憲法の精神です。
このように書き連ねると何やら殺伐とした気分になる人もいるでしょう。また初めから分かり切ったことを今更と笑う人も多いと思います。でも結論的なものは導き出されているのではないでしょうか。つまり夫の親の介護に妻がだれよりも最も多くかかわっている現状には問題点が多い。それは妻の自由な選択を尊重している結果かどうかということです。
これからの介護は「施設」で「プロ」の手を借りて。
このように論を進めて来ると、介護は決していわゆるボランティアではないということです。そして在宅介護に大きな役割を果している妻の立場を考えたとき、今後はその割合が減少したとしても、増加はしないのではないでしょうか。すなわち社会福祉法人などの「プロ」の果たす役割や「施設」の必要性が大きくなるということです。
前述したように厚生省は「施設」よりも「在宅」での介護を重視していますから、その方針でいる限り、今後は施設が足りなることは明白です。
近親者でもでき得ない、完全な介護。
ところで親子や夫婦などを在宅介護する側の人たちを対象に実施したアンケート結果を、昨年テレビで放映していました。介護されている人に対して、「憎いと思ったことがある」「虐待(わざと乱暴な介護をする、無視する、返事をしない)をしたことがある」と答えた人が60数パーセントもいたそうです。また今までに「殺してしまいたいと思ったことがある」と答えた人も60数パーセントに上ったそうです。これを見て私は少なからず動揺しました。
また一方で、平成12年7月11日付 地元誌 新潟日報では次のような記事がありました。まず見出しで「お年寄り虐待 3割で」とした上で、「特別養護老人ホーム全国調査」として、施設職員が入居者に対してさまざまな「虐待」をした経験や、これらのことを施設内で他の職員が入居者にしているところを見たことがあるという調査結果も書かれていました。その上で記事の締めくくりとして「また、虐待の理由について施設長らは『適性に欠ける』など職員の資質と結び付ける見方が多かったが、藤田さん(福祉関係の相談室の人筆者注)は『虐待を放置している周りの人も結果的に同じ資質だ』と指摘。『職員の増員や研修を行ったりするなど、全体の環境を整えることが先決』と話している。」と。このような記事を見ると、介護の現場では、一部に「虐待」などがあることを認めながらも、それを改善しなければならないという決意が感じられます。
つまり、これらのことは次のようなことを示していると思います。まず介護というものが、介護を受ける人にとってはもちろんのこと、特に介護する側にとっては精神的、肉体的に並大抵ではないということです。大げさにいえば想像を絶するほどの、介護を体験した者でなければ分からないほどの大きな負担であるということです。
特に在宅で家族が介護する場合においては、不謹慎ですが、いつ終って解放されるのか期限が明確でないわけですから、なおさらでしょう。
また一方では、施設で行われる介護にも多くの問題がありそうです。施設介護に関しては、平成12年からの介護保険の発足を期にいわゆる「措置制度」から「契約制度」にという、主に施設側の大きな環境の変化があったことも影響しているようです。
それにしても、前述の新聞記事に見られるように、施設側の「プロ」の介護に携わる人たちはそれまでの「劣悪」とされる一部の介護の「至らなさ」については真摯に反省し、向上させなければならないという使命感が感じられます。
「プロ」だから目指す「王侯の介護」
しかし、私はここでも独自の切り口から、次のことを問題点として指摘したいと思います。すなわち、在宅における家族介護は近親者の被介護者に寄せる情愛や敬愛、使命感や家族の団結力などから行われ、おそらく多くの方々が幸せな満足感のなかで近親者にみとられながら一生を終えられるのだと思います。その反面、介護が長期に及ぶこと、あるいは何らかのことから介護をする側の人の内面においては憎しみが生じたり、ときには殺意すら感じる屈折した葛藤が起こることもあるでしょう。
確かに、介護をする側の人たちから、何ら困惑らしき気色も許さず介護を受けられる人がいたとしたら、それは「王侯の介護」というべきであります。
しかし介護の現場にいる「プロ」たちは、近親者も完全にはできない「王侯の介護」をしようと決意しているのです。私は彼らを立派だと思いますし、「プロ」はそうあらねばならないと考えています。
介護のエース、特別養護老人ホームの問題点。
この切り口をもう少し進めてみましょう。この場合の「施設」の代表的な立場にあるものが、特別養護老人ホームです。この特別養護老人ホームは公的介護施設のエースともいうべき存在です。これに対する民間施設を探そうとすれば、有料老人ホームの「介護専用型」しかあげようがありません。あげようがないというのは、特別養護老人ホームがあまりにもエースなので、少なくとも現時点では対象として論じられないほどの差があるという事です。
まず、特別養護老人ホームの定義としては、「常時介護が必要で、自宅では介護が困難なお年寄りが入所する」とされています。そして、ここに入所した場合の費用負担は、基本的には介護度の重い人でも約5万円程度となっています。これは介護保険施設として介護保険制度の「施設給付」の対象となるものです。したがって「住居費」がいらないとされています。
つまり、特別養護老人ホームでは入居者は5万円程度の自己負担で住居費もかからず、「王侯の介護」を受けることができるのです。むろん介護とは病気などで体が不自由だったりする人を介抱し、看護することですから、王侯を引き合いに出すまでもなく、そのレベルは常に上質であるべきものです。
ではここで、特別養護老人ホームの入居者の「背景」について考えてみましょう。「背景」とはその人のバックデータです。つまり、その人の年齢や住所、持っている資産や経歴、家族構成、さらには家族の資産や立場なども含まれます。ただ残念ながら、このような調査はあまりされたことがないらしく、完全な資料を収集することができません。わが国の生活レベルから想定してみましょう。
例えば、特別養護老人ホームに入所していて、介護度が4ないし5で、手厚い「王侯の介護」を受けている男性がいるとします。この男性のバックデータを覗いてみます。すると、この男性にはそれまで住んでいた自宅があり、ほかに数世帯のアパートを持っていて、賃貸駐車場も持っています。もちろん相応の株や債券もあります。また旧自宅には、一流企業に勤務している息子夫婦が住んでいて、息子の妻は公務員です。息子夫婦には2人の子どもがいて、そのうち1人は大学を卒業して、独立をしています。後の1人は大学に在学中です。つまり息子夫婦一家は現在、充実した家庭生活を営んでいるために、介護に手が回らないという事です。そこで息子夫婦は父親に対して十分な介護ができないと判断し、父親を特別養護老人ホームに入所をさせることを決めました。
このような家庭は現在の日本では多くあると思います。経済的には裕福な家庭といって良いでしょう。むろんこれ以上に資産を有している場合も多くあるでしょう。このようなバックデータを持っている人でも、特別養護老人ホームへ入所すれば、わずか5万円余の月々の負担で、「王侯の介護」を受けることができるのです。
読者はそれがどうしたと言うかもしれません。しかし私は、これで良いのかと思わずにはいられません。
安い費用負担の特別養護老人ホームは困窮者のために、富裕の人には応分の負担を
特別養護老人ホームはもっと資産のない困窮した人々のために、十分な入所枠をもって用意されるべきではないでしょうか。現在、特別養護老人ホームは不足しています。今後さらに高齢者は増えていきます。国はこれらの人々のために、これまで以上に特別養護老人ホームを造らなければならないでしょう。それはそれで良いとしても、特別養護老人ホームをつくるには現在、建物部分においては国、県が3分の2の補助金を出し、それを運営する社会福祉法人などでも、自治体によって違いはあるでしょうが、大抵の場合、建物部分の3分の1の資金とその敷地となる土地の全部を用意しなければなりません。
このことは、困窮している人たちのためならやむを得ないでしょう。しかし富裕層にまで、国や社会福祉法人が負担しなければならないのは、いかがなものでしょうか。そのような中でも福祉の現場に働く人たちは、「王侯の介護」にまい進しています。彼らの多くは、いや、すべてというべきかもしれませんが、まだまだ給与面では決して恵まれていない状況です。彼らの働く気概を支えているのは、多分に「ボランティア」精神なのです。その点、私は敬服をしないわけにはいきません。
つまり、彼らの「王侯の介護」もまた富裕層に対しての奉仕なのです。私が問題にしたいのは、富裕層の人たちの介護に対して、これを支える多くの人たちは、その身以上の奉仕の精神を提供しているということです。果たして現在の資本主義社会で、これを当たり前のこととして良いでしょうか。
そこで私が提案したいのは、現在介護のエースの感さえする特別養護老人ホームは困窮者のためのみに限定し、富裕層からはそれ相応の対価を支払ってもらう施設を造るべきだということです。
政府の補助金に頼らない有料老人ホーム。工夫された有料老人ホームで多種多様なサービスを。
前にも述べたように、民間で(政府から補助金をもらわないで)10人以上の高齢者に住居を提供し、食事等一定のサービスを付加する場合には、この施設を有料老人ホームと位置づけるとされています。有料老人ホームには幾つかタイプがありますが、この場合には特別養護老人ホームに対して、同様のサービス提供をできるものとして有料老人ホーム「介護専用型」を取り上げてみます。この「介護専用型」の有料老人ホームを普及させる必要があると主張したいのです。
有料老人ホームというと数千万円にものぼる「利用権」販売方式のものが一般的に普及していて、そのため有料老人ホームは高額なものとして知られているようです。そこで私が提唱したいのは、もっと少額でもできる「敷金方式」のものです。この「敷金方式」ですと、一般のマンションの賃貸と同様に住居部分は賃貸契約となり、月々の家賃は発生しますが、そのほかの共用部分を含めましても1ヶ月当たり10万円台の家賃で済み、ほかは食事費用と介護費用ということになります。普通の賃貸マンションとは違う事情がありますから、敷金は100万円前後になるでしょうが、敷金は死亡の場合であっても、転居であっても返還されるべきものですから、「利用権」販売型に比べて決して高額なものではないはずです。
この場合、介護費用については、介護保険の適用部分は「在宅介護」として扱われ、それ以外の介護については当人から要望のあったもののみ別途有料ということになります。さらにこの「特定施設入所者生活介護」として在宅サービスの一つの利点は、政府から補助金は一切もらわないので、貸主、借主において全く自由な契約ができるということです。
例えば、家族の付き添いや同居、ペットの飼育などが可能になります。もちろん個室対応ですから、プライバシーも万全です。入浴などもその部屋でできる設備になっています。金額的には特別養護老人ホームよりは高額でしょうが、通常の有料老人ホームよりは格安になり、何よりも入居時にかかる「一時金」は敷金のみですから、多額のお金を用意する必要はありません。それでも特別養護老人ホームよりは高額なお金が必要なわけですから、入居される方としては、やはり「富裕層」のためのものと言うべきでしょう。これにより、特別養護老人ホームは困窮の人たちが入りやすくなるでしょう。
さらに私の主張を許してもらえるなら、私には「人が生涯で貯めたお金はその人の生涯で使いきるべし」という観念があります。人は生まれ落ちたときは裸です。そして死んでいくときも同様に裸です。これは自然の摂理です。何はともあれ、経済的に恵まれた一生を過した富裕層の人が、自分の介護において他人のだれにも負担をかけないという事を快しとするのは、なんと潔いことでしょう。
国の介護保険は「自賠責保険」。さらなる「介護保険」で安心の備え。
しかしどんな富裕の生活を営んでいる人にも、老後の漠然とした不安はありますから、この気概を補うものが保険の活用ということです。
介護保険は自動車の自賠責保険のようなものです。日常生活のなかで車を運転している人はたくさんいます。会社で業務として車を活用しているところも多いでしょう。これらの個人や法人で、自賠責保険のみしか加入していないところは少ないでしょう。万一の事故に備えて、さらなる給付が必要だと考え、任意の保険にも加入しているはずです。そして、いかなる事故があってもせめて金銭的には他人に迷惑をかけることなく、自分も破たんすることなく、事故に対して十分な賠償ができるよう備えているはずです。
このようなことが車にできて、人間にできないはずはありません。自賠責保険に相当する国の介護保険に加入するとともに、任意の介護保険に加入しておくことが、今後はさらに一般的になっていくでしょう。
このような備えがあれば、もっと多くの人が国や他人の負担をあてにせずに楽々と潔い一生が終えられると思います。
ともかく私が言いたいのは、自分以外の人に負担をかけるようなことに対しては、対価が必要だと考えた方が良いということです。無償の給付は、ときには涙が出るほどありがたいものですが、これを当てにして待っているわけにはいきません。備えあれば憂い無しという言葉は「格言」にもなっています。
民間活力がつくった豊かな社会。「介護」にも求められる民間サービス。
さて、ここで公的なサービスと民間のサービスの比較について述べてみたいと思います。介護を取り巻く環境は福祉の分野とされています。「福祉」を広辞苑で引くと「公的扶助による生活の安定、充足」と出ています。ところで例えば、老人福祉法における福祉施設といわれるものは幾つかあります。
私たち常陽会で運営しているケアハウスもデイサービスセンターもこのうちの1つです。また、介護のエースと私が呼んでいる特別養護老人ホームもこれに含まれます。そしてこれらの施設の建設には、多額の公的資金が補助金として交付されています。またこれらの施設を運営する母体としては、社会福祉法人などが当っています。社会福祉法人などは、その設立は公的機関による認可を経てなされます。以上のことから、このような施設や、法人の行うサービスを公的サービスと位置づけることにします。
一方、公的な補助や認可とは全く無縁に、仮にあったとしても極めて少ない、民間が任意に行える施設や法人がするサービスが、民間サービスということになります。
一般的に、公的サービスは利益を目指すものでなく、これに対して民間サービスは利益を追求するものであると理解されています。公的サービスは安価で誠実で安定して、民間サービスは高価であるばかりで不誠実であったり、経営も不安定なものだと考えられています。公的サービスの方に信頼性があり、民間サービスよりも優れていると思われている向きがありますが、果してそうでしょうか。恐れずに大胆に言えば、私はむしろ逆であると思います。それは私が、今は社会福祉法人の理事長の立場にあるものの、もとはといえば民間会社に社員として勤め、そして社長となって会社の運営に当たっていた経験とその間、取引き先会社や競争相手先会社などとの交流のなかに育ったためでしょう。 今、大方の民間会社では、客に対していかに良いものを安く提供するか、いかに誠意を客に伝えるか、いかに経営を安定させて発展させるべきかを、ほかとの競争関係の中で、心血を注いで形にしています。その結果、「お客様は神様です(私は神様ではなく正確には専制君主というべきと思っていますが)」の言葉通り、それこそ消費者は「王侯」の気分で消費生活を「楽しんで」いるのではないでしょうか。もちろん相応の対価と利益を提供する側は得て、これを受ける側も満足するという利益にも似たものを得てはいます。介護におけるサービスも、この「民間的」サービスがより上質であると理解されたときこそ、介護を「楽しんで」受ける域にまで到達するのかもしれません。
実は劣悪であった、措置制度のもとでの公的サービス?
ところで、私がこのような飛躍的な結論を展開するのには、実は伏線があるのです。平成12年から介護保険制度の施行に当たり、介護をめぐる福祉業界において大きな環境の変化があったと言われています。私はこのころから努めて社会福祉法人の経営のための勉強会に出席していました。その勉強会では、例えば三人の講師が順次講演したとすると、三人が三人とも冒頭でこう話しを切り出すのです。「皆さん、これからは『措置制度』から『契約制度』の時代になります。もう今までのような経営では成り立ちません。競争の原理が導入されたのです」と。私はしばらくこの言葉の意味が分かりませんでした。 そもそも「措置」という言葉にどのような意味があったのでしょう。それは50数年前の終戦の時代にさかのぼります。この時代の社会福祉は、家や親を失って浮浪している児童や老人を、捕らえるようにしてジープに乗せて、施設に強制的に収容することが至上課題であったというのでした。 以下は大阪市立大学インターネット講座より第4回講義内容 「高齢化社会の福祉」を引用したものです。それにはさらに詳しく次のように書かれています。「こうした時代背景にあっては、行政という公権力によって決定を下し、住民を半ば強制的に施設に収容することが強く求められた。これは、行政が主体となりサービス利用の決定を下すことであり、『社会福祉の措置』と呼ばれる仕組みである」「措置制度の下では、施設が入居者を自らの手で捜しだすことは不要であり、行政がすべて利用者を当てがってくれる。そのため、施設間やサービス提供機関間での競争が生じることはない。すなわち、良いサービスを提供しているために多くの利用者がやってくるといった『市場原理』が作用しない仕組みになっている」とあります。このような文面から、私には「措置」という言葉の意味がようやく理解できるようになりました。
また、「介護サービス事業の経営実務」(介護サービス事業研修会 編集第一法規出版 平成12年1月30日発行 編集協力 社会福祉・医療事業団)の冒頭部分での「11 介護保険はなぜ生まれたのか」から、この間の様相を示す語句を拾って書くと次のようなものです。「端的にいうなら低所得者対策である」「療養そのものが生活である。にもかかわらずその療養環境は劣悪である」「人間の尊厳を重視し、人権やプライバシーを配慮した環境になっていない」「実態としては劣悪なサービスしか提供されていない……」「介護保険を必要とした第3の理由は、介護を必要とする高齢者とその家族が強いられてきた脆弱な介護サービス体制を時代に見合った新しい制度に変え、利用者本位の制度にしていくということである」
これを見ると、実はこれまでの公的サービスは惨澹たる有り様であったことが想像できます。この原因はそれこそ「措置制度」にあったと言って良いでしょう。この制度下における公的施設でなされた公的サービスが、まさか全部ということでないでしょうが、いかに劣悪なものであったかが、この書きようから想像できるというものです。
豊かな国の豊富な介護サービス
それに比べて民間はどうでしょう。わが国では資本主義、自由主義は世界の先進国レベルですし、民主主義も定着しています。民間の商業活動は百花繚乱の繁栄を誇ってきました。豊富な物資、上質のサービス、品質、機能の優位性、消費者保護の確立性など、大方においては世界のどこの国に比べても遜色はないといって良いものです。現に消費者はお金さえ用意すればなんのためらいもなく、ほとんどのものを手にすることができます。
このような日本にあって、介護が民間に委ねられないはずはありません。介護は究極のサービス業です。民間こそがふさわしいのです。ただし、お金はかかります。これにかかるお金はまず各人が保険で賄うことを考えるべきだと思います。
国の介護保険は車の自賠責保険のようなものですから、さらに任意の介護保険も必要になってきます。保険に入らない人、保険をあてにしなくとも良い人は、自らの資産を活用することになるでしょう。国が税金を支出することがあるとすれば、それは困窮している人たちのみにされるべきです。
特別養護老人ホームは安価なものです。ほんとうに年老いて困窮している人にはさらに安価にし、困窮している人から優先して特別養護老人ホームを活用できるようにしたら良いのです。
富裕の人からは自分の選択において、その程度に応じて負担してもらえばよいと思います。なぜならば、その人が元気であったそれまでの消費社会では、そのように暮してきたわけですから。
このようにすれば、第三の人生期間は膨大な消費世代となることでしょう。年老いた人からこそお金を使ってもらって、介護のためのお金がなくなったのなら、はじめて国が特別養護老人ホームで世話をすれば良いのです。なぜならば、この人たちが使ったお金は必ずやだれかのためや、だれかの手にわたって、きっと国のために役立つに違いないのですから。これは私の持論である「人はこの世俗で得たお金はこの世でつかうべし」から出ています。
有料老人ホームの問題点と、もう一つの有料老人ホーム経営
さて、ここで有料老人ホームについて話を進めてみましょう。
一般的に有料老人ホームは入居者において「終の住家」としてとらえられていて、いったん入居したらここで死を迎える場所として認識されています。つまり健康時には自立した生活を楽しみ、倒れたときには介護を託すということを、入居時に施設側と契約を交しておくわけです。
ほとんどの施設では居住する権利を「利用権」として販売していて、普通のマンション分譲などにある「所有権」ではありません。それでいて「所有権」以上に、「利用権」が飛び抜けて高額だと思われるのはなぜでしょう。それはおそらく、将来倒れた時の介護を全面的に施設側に託しているためでしょう。なるほど、前述したとおり「措置制度」の下であっては、倒れた後の介護は普通の人であっても恐怖さえ感じますから、富裕な人ならなおさらです。
しかしそれとは別に、はっきりと言えることは、有料老人ホームは2段階に分かれるということです。最初に入居した時点では豪華な居室を「利用権」として居住できますが、ひとたび倒れてしまったら、その時点でほとんどの場合、「介護専用室」へ移らなければならないのです。その「介護専用室」とは4人で同居し介護を受ける4人室や、2人室、個室と区分されていますから、必ずしも個室が各自に用意されているわけではありません。健康なときには豪華な居室に快適に住むこができたとしても、倒れた時から4人室などに転居することになったら、人にもよるでしょうが、とても快適なものとはいえないのではないでしょうか。
それならば健康なときには、高齢者のための高級ケアマンションに分譲を受けて(所有権を持って)入居し、倒れてからは有料老人ホームの「介護専用型」に入居すれば良いのではないでしょうか。一般の特別養護老人ホームにしても、今では個室対応で快適なものが順次整備されてきています。「措置」の昔と違って、今はそれほど心配はいらない状態になっています。倒れてしまったその時には、分譲を受けて、所有権を持っているマンションなら他人に売ることもできます。「利用権」は他人に売ることはできませんが、分譲を受けたものなら任意に売ることができますから、経済的にとても有利なものといえるでしょう。 そこで私は社会福祉法人の事業の一つとして、今後は、健康型の高齢者のための、しかも介護対応システムのついたバリアフリーマンションの分譲と、同時に有料老人ホームとしての介護専用型の「敷金方式」の賃貸介護マンションの経営をして、私の持論を実践してみたいと思っています。
しかしながら、私たちの常陽会はまだ黎明期にあります。理事長の私自身は民間会社の経営者から、社会福祉法人の理事長としての視点を持ち始めたばかりの新参者です。私の持論や理想を達成させるためには、多くの人たちからご意見を伺い、謙虚に思考しながら、しかし決然として、できるものから実行していきたいと思っています。それはまた、私の第三の人生のステージのスタートでもあります。